早期アルツハイマー病に対するLecanemab(レカネマブ)の治療効果
文責:橋本 款
図1.
コロナ禍の期間に大きな進展があったことの一つに、アルツハイマー病(AD)におけるアミロイドβ(Aβ)免疫療法の臨床治験の成功が挙げられます。Aβ免疫療法の臨床治験はこれまで何度も失敗を繰り返してきました。また、Aβの免疫療法を受けた患者の剖検脳を調べた結果、Aβの凝集・蓄積は、消失していたにもかかわらず、認知機能は改善しないことがわかりました。これらのことから、蛋白凝集と神経変性の関連性については懐疑的にならざるを得ませんでしたが、最近のレカネマブの臨床治験(第3相)の成功は、このような疑念を払拭しました。レカネマブは、家族性アルツハイマー病の一つから同定されたArctic変異(Glu 22がGlyに置換)のAβを抗原とするモノクローナル抗体であり、エーザイ社(日本)とバイオアークティック社(スウェーデン)によって共同開発されました。その機序として、レカネマブはAβのプロトフィブリル*1 に結合して神経毒性をブロックする結果、シナプスの機能を保護し、認知機能の低下を抑制すると考えられました(図1)。したがって、レカネマブの治験の成功により、ADの病態における神経毒性に関与するプロトフィブリルが治療標的なることが証明されたことになります(図1)。今回は、臨床治験(第3相)の成功に関連した論文(文献1)を取り上げます。
文献1.
Christopher H. van Dyck, et al., Lecanemab in Early Alzheimer’s Disease, N Engl J Med 2023; 388:9-21
【背景・目的】
可溶性、及び、不溶性Aβの凝集体が蓄積することで、ADの病理過程が開始または増強されると考えられるが、レカネマブは、可溶性Aβのプロトフィブリルに高い親和性を呈するヒト化IgG1モノクローナル抗体であり,臨床治験(第3相)において、軽度認知障害(MCI)*2 を含む早期AD患者で検討された(Clarity AD 試験:ClinicalTrials.gov 登録番号 NCT03887455)。
【方法】
ADによるMCI、または、軽度認知症を有し、陽電子放射断層撮影(PET)または脳脊髄液検査でアミロイドの沈着を認める50~90歳の人を対象として、18ヵ月間の多施設(日本、米国、欧州、中国、韓国、カナダ、豪州、シンガポール)共同二重盲検第3相試験を行った。参加者を、レカネマブ(10 mg/kg・体重を2週間隔で投与)を静脈内投与する群と、プラセボを投与する群に1:1の割合で無作為に割り振った。
主要エンドポイントは、臨床認知症評価尺度*3スコア(0~18で、数値が高いほど障害が大きいことを示す)のベースラインから18ヵ月までの変化量とした。
主な副次的エンドポイントは、PET上のアミロイド蓄積の変化量、AD評価尺度の14項目の認知機能下位尺度(ADAS-cog14)*4 スコア(0~90で、数値が高いほど障害が大きいことを示す)、アルツハイマー病複合スコア*5(ADCOMS;0~1.97で、数値が高いほど障害が大きいことを示す)、アルツハイマー病共同研究の軽度認知障害における日常生活動作評価尺度*6(ADCS-MCI-ADL)スコア(0~53で、数値が低いほど障害が大きいことを示す)とした。
【結果】
1,795例が組み入れられ、898例がレカネマブ、897例がプラセボの投与を受けた。ベースライン時のCDR-SBスコアの平均は、両群とも約3.2であった。ベースラインから18ヵ月までの変化量の補正後の最小二乗平均値は、レカネマブ群で1.21、プラセボ群で1.66であった(差 -0.45,95%信頼区間[CI] -0.67~-0.23,P<0.001)。
698例で行ったサブ試験では、脳内アミロイド蓄積量の減少は、レカネマブ群のほうがプラセボ群よりも大きかった(差 -59.1センチロイド、95% CI -62.6~-55.6)。その他の尺度もレカネマブのほうが良好であり、ベースラインからの変化量における群間差の平均は、ADAS-cog14スコアが-1.44(95% CI -2.27~-0.61,P<0.001)、ADCOMSが-0.050であった(95% CI -0.074~-0.027,P<0.001)、ADCS-MCI-ADLスコアが2.0(95% CI 1.2~2.8,P<0.001)。
レカネマブを投与した参加者の26.4%に注入に伴う反応(インフュージョンリアクション)、12.6%に浮腫または滲出液貯留を伴うアミロイド関連画像異常が認められた。
【結論】
レカネマブの投与は、18ヵ月の時点で、早期ADにおけるアミロイド関連マーカーを減少させ、認知・身体機能尺度の低下がプラセボよりも小さかった。しかしながら、レカネマブの投与による有害事象との関連も観察されたことから、早期ADに対するレカネマブの有効性と安全性を明らかにするためには、より長期の試験が必要である。
用語の解説
*1.プロトフィブリル
プロトフィブリルとは、モノマーが重合および凝集して形成される線維(フィブリル)の前段階である物質の総称。Aβ、αシヌクレインやタウ蛋白質、フィブリノゲン、インスリン、セルロースなど様々な物質がプロトフィブリルを形成する。Aβは20年程度かけて凝集しながら脳内にたまっていく。まずはAβの単量体が2個以上結合した低分子オリゴマーとなり、さらに多くが集まってプロトフィブリルなど の高分子オリゴマー化する。凝集が進むと最後は線維状となり、線維を成分とする老人斑が形成される。
*2.軽度認知障害(MCI:Mild Cognitive Impairment)
ADによる認知症には、認知症になる一歩手前の段階があり、この段階を「軽度認知障害(MCI:Mild Cognitive Impairment)」と呼ぶ。MCIは、正常な状態と認知症の中間であり、記憶力や注意力などの認知機能に低下がみられるものの、日常生活に支障をきたすほどではない状態を指す。65歳以上でMCIの人の割合は15~25%と推定されており、MCIであることが気づかれないままになっている人も少なくないと考えられる。
*3.臨床認知症評価尺度(Clinical Dementia Rating)
記憶、 見当識、 判断力と問題解決、地域社会活動、 家庭生活および趣味・関心、 介護状況の6項目について評価し総合判定を行う。 合計点は「CDR-SB (Sum of Boxes)」、 各スコアの総合的評価は「CDR-GB」や「全般的スコア」と呼ばれる。早期ステージのADを対象とした治療薬の適切な有効性評価項目としても使用される。
*4.ADAS-Cog
ADを対象とした臨床治験でグローバルに最も広く用いられている検査方法である。ADAS-Cog14は単語再生、命令、構成行為、物品と手指の呼称、観念行為、見当識、単語再認、検査教示の記憶、話し言葉の理解、換語、話し言葉の能力、単語の遅延再生、数字の消去、迷路という14項目を評価するもので、MCIを含む早期ADを対象とした試験で用いられている。
*5.ADCOMS
早期ADの変化を感度よく検出することを目的とし、ADAS-Cog、精神状態短時間検査(MMSE; Mini-Mental State Examination)、CDRの3つの臨床評価尺度を組み合わせたエーザイが開発した評価指標である。
*6.ADCS MCI-ADL
MCI当事者の日常生活動作を評価するスケールであり、最近の日常生活動作における実際の様子を被験者のパートナーへの24項目の質問から評価する。
今回の論文のポイント
臨床治験(第3相)でレカネマブの臨床効果が明らかになったことは、プロトフィブリルが神経変性疾患の治療標的として確立されたことになり、大変意義深いと言えます。
その一方で、レカネマブの作用は脳浮腫や薬剤注射の際の急性輸液反応などの副作用を伴い、今後の改良が必須だと思われます。
プロトフィブリルが進化の過程で淘汰されなかったのは、生殖期におけるプロトフィブリルの生理学的機能に関係していると想定されますが、レカネマブのAD臨床治験の成功は、これに関して何ら言及しません。このまま、プロトフィブリルの正体を知ることなくして治療開発が成功するのか少し疑問に思うところです。