2025.04.17更新

<概略> ノルマン人の移動の一環として、バルト海方面から南下したルーシが、先住のスラヴ人に同化して成立した国家。中世のキエフ公国以降はギリシア正教を国教とし、スラヴ人の国家として意識される。13世紀からモンゴル人の支配を受けていたが、15世紀にモスクワ大公が自立し、16世紀のイヴァン4世の時に封建社会を基盤として皇帝ツァーリが支配するツァーリズム国家としての体制を作りあげた。その後内紛が続いたが、17世紀にロマノフ朝が成立、18世紀前半にピョートル大帝の時「バルトの覇者」として大国となり、シベリア方面への進出も続けて有数の大国ロシア帝国となった。18世紀の後半はエカチェリーナ2世のもとでさらに領土を拡張した。19世紀初頭、ナポレオン軍の侵攻を撃退し、ウィーン体制での保守反動勢力の中心となったが、国内での社会変革を求める運動も起こってきて矛盾が強まる。19世紀後半は積極的なバルカン方面や中央アジア、東アジアでの南下政策を展開し、周辺諸国との軋轢を強めていった。1877年には露土戦争に勝利したものの欧州列強の干渉を受けてバルカン方面で後退せざるを得なかった。ついで東アジア方面への進出を強め、イギリス・アメリカ・日本との対立を深め、1904年の日露戦争で大きな打撃を受けた。第1次世界大戦ではドイツ・オーストリアとの利害の対立から連合国側に参戦したが、その中でロシア社会の矛盾が深まり1917年にロシア革命が勃発、ロマノフ朝は倒され、世界最初の社会主義政権の成立となる。1922年からはソヴィエト社会主義共和国連邦を構成するロシア共和国として存続したが、1991年にソ連邦が崩壊し、ロシア連邦として復活し、現在に至っている。

投稿者: 大橋医院