2024.10.09更新

難しい終末期患者の管理
 外科医として中規模公立病院で働いています。これまで、多くのがん患者さんを診てきましたし、終末期の症例も多く経験しました。がんの終末期で困ることの一つと言えば、「末梢静脈路確保ができなくなること」でしょう。元気なときは両上肢にムキムキの皮下静脈があった人でも、がんの終末期になると皮下静脈がほとんど分からなくなってしまうケースが多々あります。

 私が医師になった1990年代末、末梢静脈路確保ができなくなった終末期患者さんには中心静脈を確保していました。しかし、せん妄でせっかく入れたカテーテルを抜かれてしまうこともありました。

 また、終末期の患者さんに「カットダウン法でカテーテルを入れた」ということもありました。何とかして静脈輸液のルートを確保しなければならないと思っていたからです。ほとんど経口摂取ができない患者さんには水分を補給しなければならないと思っていましたし、疼痛が強い方には鎮痛薬の持続投与もしなければなりませんでした。

 数年後、中心静脈ポートが一般的になりました。大腸がん化学療法で48時間持続投与するメニューに必要なため中心静脈ポートが広がったのですが、それに付随して終末期にも広がった、という印象でした。ただ、中心静脈ポート留置術は局所麻酔とはいえ手術であり、弱った患者さんに行うのは気の毒に感じました。

 中心静脈確保や中心静脈ポート留置術は、患者にとっても医師にとってもストレスです。手技そのものに苦痛が伴いますし、合併症も無視できません。

在宅医療にマッチした過去の手技
 そんな中、私の周囲では2010年前後に静かに復活した過去の手技があります。それは皮下輸液です。在宅医療を積極的に行っている先生に教わりました。合併症はなく、手技も簡便で苦痛も少ないこの方法は、病院よりも在宅医療での需要にマッチしたのでしょう。私も中心静脈確保のストレスに辟易していたので、早速病棟でも始め、その有用性に感激しました。

 とはいえ、「輸液と言えば静脈から」と習った世代にとっては抵抗があったことも事実です。他科の医師に皮下輸液を勧めたところ、

 「そんなんええの? ありえへんやろ」

 などと言われたこともありました。

 看護師からも「そんなことをして良いのか」という意見もありました。しかし、折しも皮下輸液が見直され、緩和医療ガイドラインにちょうど掲載された時期でもあり、急速に広まって行きました。

半世紀を経て復活した皮下輸液
 輸液が日本で行われ始めたのは、コレラの流行をみた幕末から明治期でした。いかに脱水を補正するかが問題だったのですが、やはり静脈から水分・電解質を補充することは技術的に難しく、1950年代までは広く皮下輸液が行われていたようです。

 静脈輸液は、滅菌した輸液製剤、滅菌した静脈針、輸液チューブが必要であり、さらにそれを流通させねばなりませんので、一部では行われたものの、一般に普及するには至らなかったのでしょう。

 その後は静脈輸液が一般化して、皮下輸液はまったくと言っていいほど用いられなくなり、ほぼ忘れられた手技となっていました。2010年頃、約半世紀を経ての手技の復活となったわけです。

 過去の医学をひもとくと、現在忘れられているものの実は有用な手技があるのかもしれません。また、私たちが現在行っている手技がいったん忘れられ、そして復活することがあるのかもしれません。

 今行っている方法を絶対視せず、常に医学は変わりゆくものであるという広い視点を持つことは大事だと思います。そして俗物の私は、過去の手技の有用性を見出して現代に復活させることができればカッコいいだろうな、ドヤ顔ができるだろうな、なんて思っているのです。

※参考文献
1)日本医史学雑誌 第 58 巻第 4 号(2012) 437-455 日本における食塩水皮下注入から 静脈内持続点滴注入法の定着までの歩み 岩原 良晴

投稿者: 大橋医院