<或る老いた70歳の老人の悩み> 大橋信昭
70歳になっても、何とか、現代医学に遅れないようにと、仕事を終えてから、オンラインの講義、毎月の医師会雑誌、内科学会の雑誌に挑戦している。私が、卒業したのは1979年、偶然にも専門医制度が始まった年だ。この頃は,何となく時間が緩やかに流れており、一日仕事を終えて、気になるところを、医学大辞典、循環器学を読めば、趣味の歴史、宇宙、文学を読みふけっても、疲れることなく就寝時間が来た。もちろんパソコンが個人レベルで一台以上もてる時代ではない。コンピューターは大学の計算機センターという部屋に数台あり、同大学の研究者たちは順番を待った。できた論文はタイプライターで仕上げ、データは計算尺で確認した。
それが今の時代、一人一台から数台、パーソナルコンピューターを持ち、タブレット、手でスマートホンをもって電話、メール、ライン、、、様々なアプリ,薄く軽く、持ち運びができるようになった。24歳のころから考えると夢のような時代である。
毎日、入ってくる情報も桁違いとなった。若き24歳の私は、授業を抜け出し、そのころは学生食堂の北奥に、森があり、池があり、まぶしい太陽を見ながらアイスクリームを味わっていた。
あれから50年、図書館でINDEX MEDICINEをめくり、論文を探す必要はなく、私の持っているパソコン、スマートホン、タブレットで疑問点は無くなる。便利だが、情報が多すぎて、私の24歳から歳月を経た70歳の前頭葉は、柔軟性を無くした。もう私は開業して、教授、准教授、研究員たちも若い世代、ジェネレーションキャップを感じるのである。学界場に行くと、特に若者に老人が首をひねってノートをとっており、そんな医師はいないのである。引退?という言葉が心をかすめるが、いや勉強は70歳からでも追いつける。若い世代の医学討論、地方会でもスライドに出てくる医学用語がわからなく、さっとスマートホンで検索する。私はガイドラインも頻回に変更する。心臓のみ、勉強しては他の臓器のことが全く分からなくなるので、呼吸器、腎臓、貧血、内分泌にも挑戦する。
私の情けない大脳では処理しきれない。いや、まだ現役で頑張るのだ。外来で流感患者ばかり診察していては、思わぬ難病を見逃す。中核病院の専門医に紹介状を書く頻度が増えた。患者さんのことを思えば悪いことではない。幸い、オンラインの講義が多くなり、全世界の講義を書斎で聴講できるが、読んでない新刊医学雑誌はたまるばかり。人生はこれから、医学の発達のスピードに負けないのだ。
2024.06.19更新
<或る老いた70歳の老人の悩み>
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